人生が表面をさらうように交差する場所ーー『クワイエットルームにようこそ』

松尾スズキによる2007年の映画、『クワイエットルームにようこそ』を観た。以下感想を。ネタバレ注意。
 
フリーライターである作倉明日香(内田有紀)は、目覚めると見知らぬ病室にいた。そこは入院患者の中で「クワイエットルーム」と呼ばれる、精神病院女子病棟の保護室。ストレスの捌け口としてオーバードーズを行った明日香は意識を失い、内科で胃洗浄を受けたのち閉鎖病棟であるこの精神病院に担ぎ込まれたのだ。前後の記憶もなく、自殺未遂の意思もなかった明日香は風変わりな入院患者達や高圧的な看護師にとまどい、退院を希望するが、病人の言うことだとまともに取り合ってもらえない。病棟の中で過ごすうち、摂食障害の少女・ミキ(蒼井優)や、同室の女性・栗田(中村優子)、過食障害の西野(大竹しのぶ)らとの交流が始まる。こうして、明日香の奇妙な入院生活は幕を開けた。
 
というような話なのだが、面白かった。作品の手触りとしては、同じく精神病患者が主人公である『逃亡くそたわけ』が近いだろうか。人生に問題を抱えた主人公が、精神病院という「時の止まった場所」でもがき、同類との馴れ合いや衝突の果てに自分自身と向き合い、前へ進んでいく、というまあありがちなプロットなのだが、この映画、「精神病院」という舞台装置の使い方が抜群に上手い。
私は現在進行形でうつ病患者で、精神病院の入院経験も過去2回、計7ヶ月あるのだけど、そういう経験を踏まえた上で見る、この映画の中の精神病院は実にリアルだ。一般に想像されるような、見るからに「おかしい」人はほとんどいなくて、見た目「普通」のご婦人が突如ナースステーションのドアをガンガン叩きだしたりとか、妙に愛想が良いのがいたり妙に気前が良いのがいたり、「あるある」の連続。みんな症状は違えど同じ精神病という前提があり、構成員は流動的に入れ替わっていくから誰もが人間関係に関して適度にドライ、適度に割り切っていて、なりゆきで声をかけて絆が生まれるところなんか妙にリアル。主人公も、最初こそ「自分はここにいるような存在じゃない」「この人達と私は違う」と頑ななんだけど、周りにとっては「新しい同類」でしかなくて、そこのギャップも個人的にすごく覚えがあった。かようにリアリティ溢れる舞台・人間描写のお陰で、難なく物語世界に没入することができた。
こうしたシニカルな描写をバックに、主人公・明日香が交流の中で自らに向き合っていく様子が描かれるのだが、終盤、観客は明日香と共に、意外な真実を目の当たりにする。実は明日香は、仕事に行き詰まり、恋人に別れを切り出された結果、明確に死を望んでODを行った自殺企画者であったことが恋人からの手紙で明かされるのだ。ここで観客ははじめて、この映画の主人公は「事件前後の記憶をなくした女性」というミステリにおける「信頼できない語り手」の定石的人物だったことに思い至る。
前半部分で登場人物達の生活をコミカルに描いておきながら、後半で一気にその暗部を抉り出すという構成はまったくもって恐ろしいとしか言いようがないのだが、そもそも精神病院とは、自らの病に向き合い、そこから抜け出して前を向いて歩くために、自分の中の何かと「カタをつける」場所である。そうであるからして、ミキの「食事をしない」理由の告白(ここの蒼井優の演技は凄みがあった。蒼井優、ナチュラルなイメージが強かったのだが、この映画ではきつめのメイクにドレッドヘアという出で立ちで、ドライでありながら情に厚い若い女性を好演していた。)、エスカレートしていく西野の異常性、そして明日香のODの真実とそこからの現実との直面は必然のものなのである。こうして明日香ははじめて自らの病理と向き合い、面会に来た恋人と別れの言葉を交わす。辛辣な展開ながらも、明日香が自立して一歩踏み出したことがわかる名シーンである。
辛辣といえば、この映画ではどこを切り取ってもとことん辛辣でありとことん登場人物たちを突き放した描き方をしている。たとえばラスト、明日香は退院するけれども、他の登場人物たちに回復の兆しは一切見えない。ミキは相変わらず食事を戻してしまうし、西野は盗癖が発覚し医療刑務所行きになってしまう。ミキと同じく摂食障害のサエ(高橋真唯)はジグソーパズルが完成したら食事を完食するという約束のもと、一度こそ実際に完食を果たすけれども、それは一度きりのことで、症状が好転したわけではまったくない。明日香と入れ替わりで退院していった栗田は、明日香の退院と同日にまたも入れ替わりで病院に担ぎ込まれてしまう。実は作中、私がもっともリアルだなと感じるのはここで、精神科に限らず、病院というのは自分がどんなに良くなろうが他人は自分と関係ないまったく他人のペースで病状を変化させていく場所だ。5年以上入院している患者の隣のベッドで、別の患者が3日で退院していく場所だ。どこかのレビューサイトで「主人公にばかり光が当たるのみで、周辺人物に解決が与えられていない」という批判を見かけたが、そのような意見に対しては、そもそも病院とはそういうところなのだ、としか言いようがないのである。作中のジグソーパズルに描かれたエッシャーの無限階段が象徴するように、人生とは簡単に解決がつくものではないのである。

だからこそ、無限階段を抜け出した明日香の門出は清々しい。患者達から餞別として受け取った寄せ書きをゴミ箱に放り込み(このシーンは非常に印象的なカットとして映画の中で位置付けられている。 栗田が語った通り、また、私事で申し訳ないが私自身そうしたように、「シャバに出るというのはそういうこと」なのである)、名実ともに過去と決別し、現実に折り合いをつけながら、未来へ向かってバスへ乗り込む。観客である私たちには、明日香の乗るバスの行き先はわからない(人生がそうであるように、明日香自身にもわからないのかもしれない)。荷物の中に入れたままになっていた栗田の連絡先のメモを風に乗せて窓の外に捨て、メモは風に乗ってカメラに向かって飛んでいき、「life is happy@loop.com」というこの映画のテーマを凝縮したようなメールアドレスが大写しになり、幕。

 一切の綺麗事を排し、酷と言えるほどにキャラクター達を突き放した本作品は、しかしまぎれもない人生賛歌なのである。

 

あとどうでもいいところを突っ込むと、庵野秀明が医者役として出てきたばかりか怪我をして早々に舞台から退場したのには思わず吹き出したし(庵野ファン必見)、あとODやらかした患者が2週間で退院ってのはいくらなんでもありえない早さだと思うのだが(精神科の1ヶ月は内科の1日という言葉があって、つまり精神科とはそれほどに長い目で見る必要がある分野ということである)、まあ2時間の映画にそこのリアルを求めるのはいくらなんでも酷ってものだし別にいいか。