2016年〜観た映画まとめ

ここ数年は割と入退院の繰り返しで、あまり映画は本数観れていないのですが、漸く生活も落ち着きだしたので、2015年にやったきり(2015年上半期観た映画まとめ - 東のエデン)だった、観た映画のまとめをやります。2016年からになります。なんだかんだで多いので、印象に残ったやつだけを。新旧入り混じってます。

 

裸足の季節

 

 

まずトルコの田舎町の風習に「これ現代の話だよね?」ってすごいびっくりしたんだが、でも結局あれらって日本にも強く根付いてる「女は早く結婚して子供産め」という風潮の延長線上にあるものなんだよな。学校行かずに花嫁修業、とかも「女に学歴は要らない」という言説を想起させるし……

気の良い兄ちゃん(彼がゲイであることがさりげなく示されてて、マイノリティ同士の連帯だと分かるようになってる)の助けを借りて、イスタンブールへ旅立ったラーレ。イスタンブールに行けばそれで即どうにかなるわけじゃない。ないけれど、自分を縛る抑圧を振り払って、自分の意志で立って歩けることこそが重要なんだよね。そのへんウテナ劇場版を思い出したり。

 

「よせ。どうせお前たちが行き着くのは、世界の果てだ。」
「そうかもしれない。でも、自分たちの意志でそこに行けるんだわ。」

 

五人姉妹がすごく美しくて健康的な色気があってしなやかで、まさに原題の「野生の仔馬」そのもの。色彩がすごく綺麗で目に楽しかったです。満足。

 

ロスト・バケーション

 

 

恐怖の緩急の付け方が素晴らしかった。主人公がサーフィンの途中1度砂浜に上がって電話で父と口論をするんだけど、それまではこれでもかというほど美しく撮られていた海が口論のあと再び沖へ向かう場面から一転、不安を煽る不穏な色彩とカメラワークに変わる。

佳境にさしかかるまでは鮫の姿はほとんどヒレか魚影しか見えないし、人が鮫に食われる様も引きのショットで映したり海面に広がる血の赤で表現したり、抑制された演出によって逆に恐怖が煽られるんだよな。

満潮(=主人公の一時避難先である海中の岩が沈む)までのタイムリミットを設けただけでなく、怪我の応急処置、カメラの回収、ブイまでの移動、照明弾の回収……と細かくクリアすべき課題を段階的に設定しているから、緊迫感がマンネリ化することなく持続して、そのへんも巧いなあと。

カモメが唯一の救いよね。カモメとのシークエンスがあるから主人公の置かれてる限界状況がより引き立つし、一種の清涼剤、箸休め的な役目を果たしていて、締めては緩められ、また締められる物語の手綱のおかげで飽きが来ない。

あと、主人公の水着姿をことさらに強調して撮らないところもポイント高かった。しかし主人公、あんな死ぬ思いしてよくまた笑って海行けるな?! 文系はおとなしく家にこもります。

 

愛と哀しみのボレロ

 

「戦争は憎しみあう者同士の戦いではない。愛し合う者たちの別離だ」とは劇中の台詞だが、愛する者との辛い別れに寄り添うように挿入される演奏やダンスのシーンは明るい曲調であってもどこか物哀しかった。

芸術が人を救えるのかどうかは分からない。人生はあまりに辛く苦しい故に、心の隙間を埋めるのがせいぜいなのかもしれない。だがラストシーン、異なる国で生まれた4組の家族がチャリティーショウという同じ場所に立ち高らかにボレロを歌い踊りあげる姿に、芸術の可能性を感じぬ者はいないだろう。

白眉はダビットとアンヌの再会シーンだろう。温かい木漏れ日の落ちる精神病院の庭で、ベンチに腰掛けるアンヌと、おずおずと近づいて行くダビット。台詞もなく、二人の後ろ姿を長回しのロングショットで捉えたこの場面には、失ってからずっと探し続けてきた愛する者との満たされた愛情が横溢している。

あと、これはまあどうでもいいのだが、異なる国籍の登場人物の物語を同時に描くポリフォニックな構造と、親子を同じ役者が一人二役で演じる配役(これ、何か意図があるんだろうか)のせいで、観ながら頭の整理にてんてこまいだった。実際、途中何度か巻き戻して見たし。

 

散歩する侵略者

 

意味不明の脚本改変に対する原作ファンとしての怒りはもう一周まわって私の中に存在しない。これは究極のバカ映画だ!!!

一つどうしても許せなかったのは、ラスト、宇宙人襲来が「愛」を知ったゆえに侵略をやめてしまったところで、これは本当に冷めた。隣国と戦争をやっていても、宇宙からの脅威が間近に迫っていても、寂れたラブホテルの一室で愛を誓う(誓い合う、になれないところがミソ)信治と鳴海の2人がこの物語の肝なんであって、「愛は地球を救う」と言わんばかりのあの展開には心の底から幻滅した。

あ、役者はキャスティング・演技ともに良かったです。

 

わたしを離さないで

 

役者の演技や美術、音楽、世界観にも決して文句はないんだけど、原作小説から削られている部分が多すぎてカズオ・イシグロ信者からすると全体的に感情の流れが物足りなかった。

特にカセットを聴いて枕を抱き体を揺らすキャシーをマダムが目撃するシーンを削ったのはまずいと思う。このタイトルがどれだけこの作品を象徴しているものであるのか分かってやってんのか? あと失くしたカセットをトミーが見つけるシーン。まあでもあの厚さの原作を二時間足らずの尺に収めたという点では上手くいった部類なのかな。

 

イージー★ライダー

 

自由を求めて誰に迷惑をかけるともなく無軌道に走っているだけなのに、余所者であることや人と身なりが違うというだけで保守的な社会から拒絶されて迫害されてあまつさえ殺されてしまうのバリきつかった。

ストーリーはあってないようなものなので退屈っちゃ退屈。
キャプテン・アメリカとビリーの絆とか繋がりがいまいち見えてこないので(二人の会話シーンも少なく、彼らのバックグラウンドに関する情報も無いに等しい)いまいち入り込めなかった感が。

音楽のチョイスは良い。全体的に拙いものの、当時のアメリカの空気感を伝えてくれるのでアメリカの現代史と絡めて観ると面白そう。

エンドロールを呆然と見ながら、自由とは何かについて暫し沈思してしまった。
映像作品としての出来の良さはともかくとして、衝撃を受けた作品だった。

 

戦場のメリークリスマス

 

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良かった。キスシーンとラストの「メリークリスマス」には思わず涙が出た。良かった。

キスシーンの個人的解釈を少し。戦場とは個人が個人でいられなくなる場所で、そこでは個々の尊厳や命の重さは剥奪される。それはヨノイとて同じである。彼は大日本帝国の軍人として自らを雁字搦めにしている。そうすることで彼は自分を律し戦場という過酷な場で自らを保っている。そこにセリアズは、キスという人間同士の間で交わされる非常に個人的な行為を持ち込むことで、ヨノイに己が紛れもない「個」であることを思い出させた。ヨノイが立っていられなくなったのは、自分が自分でしかないことを認識させられたからである。と私は受け取りました。

良かったんだけど、外国人俳優の日本語が半分くらい聞き取れなかった。ので、本当にこの映画のテーマを理解しきれているかは不明。

 

ジョゼと虎と魚たち

 

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「この人を守りたい」。「この人の力になりたい」。

口で言うのは簡単で、でもたかが長い人生の途中で偶然知り合っただけの関係。一生を捧げる義務も覚悟も本当は無かった。お互い夢を見ていただけ。いや、お互いというのは違うかな。夢を見ていたのはきっと、恒夫のほうだ。ジョゼは与えられた少しの間の心地よさへの返礼として、恒夫に夢を見せることを許した。

「僕には旅に出る理由なんて何ひとつない」。お互いがそこに居れば、それで良かった筈なのに。

基本的に男女の恋愛の機微が分からない人間なので(私が)、観ながら首を傾げる部分もあるにはあったが、細い蝋燭の火を分け合うように寄り添っていた二人の姿が忘れがたい。

 

ONCE ダブリンの街角で

 

音楽って不思議だ。

年齢も生育歴も性別も背負っているものも何もかも違う人々を、いとも簡単に結びつけてしまう。
劇中で名も明かされぬ1組の男女は、音楽によって出会い、音楽とともに仲を深めていく。そしてラスト、彼と彼女はやり残した過去やまだ見ぬ未来へとそれぞれ別の道を歩み出していく。勿論、音楽とともに。

音楽とは、人生に寄り添い、彩りを与えてくれる神様からの最高のプレゼントだ。

 

パーティで女の子に話しかけるには

 

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長いこと「パンクロック好き」を自称していると、「パンクロックの定義は?」と尋ねられることが多く、その度「……」と沈思した後、結局マトモな返答ができないでいたのだが、今、正解が分かった。

「『パーティで女の子に話しかけるには』を観ろ!」だ。

……が、宇宙人たちのあまりのサイケっぷりに、「これパンクというよりプログレでは……」と思ってしまったのもまた事実でした。

 

ラ・ラ・ランド

 

終盤のifが、あまりにも、あまりにも美しくロマンチックでありそして切なかった。

2人は成功の代償としてお互いが結ばれるという道を捨てたけれど、それはバッドエンドではなく、女優、ピアニストとジャンルは違えど同じ「夢追い人」として互いの成功を静かに認め喜び合う、密やかなグッドエンドだった。男女の関係の最上級は何も結ばれることだけとは限らないのだ。

色彩も音楽も夢のように美しかった。夢を追い続ける二人が見ている世界も、きっとあんなふうに美しいのだろうと思う。

 

トレインスポッティング

 

ヤク中ってまじでこんな感じなんだろうか。まあクズの映画だなあと。

思い出したのは、山下敦弘監督作品「苦役列車」で、原作者の西村賢太が撮影を見学した際、主人公を演じる森山未來に、「貫多に感じるのは、共感ですか?憐憫ですか?」と尋ね、「憐憫ですね」という返答が帰ってきて満足そうにしていた、というエピソード。

私自身もかなりのクズである自覚はあるけど、トレインスポッティングの登場人物に対する感情はやはり同情でなく憐憫だな。

 

セッション

 

セッション [Blu-ray]

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プロフェッショナルたろうとする者同士の戦い。

即ち、狂気対狂気。

お互い歯を剥き出しにして、今にも相手の喉笛に噛みつかんとしている。

間違っても万人受けではない。嫌悪感を抱く者も多いだろうと思う。だが私はこういう、空気のピリピリと張り詰めた映画は好きだ。まあさすがに体型や生まれを持ち出して罵るモラハラっぷりにはちょっと不快感感じましたが。陳腐だが、問題作、という表現が一番的確かな。

 

マガディーラ  勇者転生

 

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十年前の作品ということで、CGの安っぽさは単に技術的なものなんでしゃーない。
どうしてもバーフバリと比べてしまうので、全体的に小ぢんまりしてるなーと感じたけど、バーフバリより先に観てたら普通に「何このダイナミックな映画!!」と思ったと思う。10年経っても、観客を釘付けにするだけの耐久性がこの映画にはある。冒頭のダンスシーンのダサさと冗長さは何とかならんのかと感じはしたけども。
バーフバリにない「現代パート」があるので(というかそちらが肝なので)、バイク、車、ヘリコプターを使った戦闘シーンが新鮮だった。ヘリコプターのプロペラで人を崖っぷちに追いやるとか、そのヘリコプターに車を盛大にぶつけて爆発させるとか、なんというかそういう「豪快に嘘なんだけど観客に最大のカタルシスを与えるアイデア力」は10年前から既に健在だったのだなあと。あんなん思い付く人他に居ませんて。
楽しませてもらいました。

 

モヒカン故郷に帰る

 

大好き。後半三十分はずっと半泣きで観てて、その流れでこれ書いてるから、なんか小難しい批評とか出来ないけど、もうほんと大好き。

こういう「エピソード積み重ね系」というか、この沖田監督とかあとは山下敦弘監督の持ち味である映画の構成は、起承転結やハラハラドキドキを求めている人には肩透かし食らったように感じるのだろう。勿論私もストーリーがしっかりコントロールされてる映画も好きだし、そしてやっぱりそういう作品こそが多くの人に支持されるんだろうけど、モヒカンみたいな映画は、積み重ねられたエピソードのお陰で各登場人物の感情の流れが自然に体に染み込んできて、暖かい気持ちになれたり、登場人物を実の家族や友達みたいに感じられたりして、そういうところが私は本当に好きです。

あと、この映画、役者さんがみんなほんと良かった。超脇役である吹奏楽のメンバーひとりひとりまで、「演技してる」っていうよりちゃんと映画の中で生きて息をしていて、隅々まで気が配られてるし、役者さんも手を抜かない、抜きたくないと思って役に臨んだんだろうなと。

なんだかとりとめのない感想になってしまったけど、要するに大事な映画がまた一つ増えて、すごく幸せです。

 

T2  トレインスポッティング

 

ストーリーというかテーマは前作と変わらない。いつになっても地に足をついて生きられないように生まれついたクズどもの物語。彼らに対する印象は前作のレビューで書いたものと全く変わらない。憐憫。それだけ。

そんなことよりも美術、カメラワーク、演出がひたっすらスタイリッシュ。これ編集相当大変だっただろうなあと。映像と音楽の快楽がやばかった。

そして前作から21年もの歳月が経ったのにも関わらず、主演俳優4人が亡くなってもおらず芸能界引退してもおらずオファーを蹴りもせず無事にちゃんと続編に出演出来たのってよく考えたらすごいなというか幸福だったなあと。私事ですまんが、私のオールタイム・ベスト映画であるゴッドファーザーシリーズは大人の事情で色々あったんで……。

 

はじまりのうた

 

「音楽の魔法だ 平凡な風景が意味のあるものに変わる 陳腐でつまらない景色が 美しく光り輝く真珠になる」

……これは作中の台詞の引用だが、この映画はまさにその「音楽の救済性」をこの上なく真正面から描いている。

仕事が上手くいかない時。家族と疎遠になっている時。恋人の浮気が発覚した時。音楽は彼ら彼女らにそっと寄り添い、前を向いて歩く活力を与えてくれる。世の中はうんざりすることばかりで、何もかもちっとも思い通りにならないし、時にアルコールに頼ったり、頬を涙が伝うけれど、そんな状況を「歌にする」ことで、創造のエネルギーにしたり、深刻な悩みをユーモアで骨折させることができる。

ONCE ダブリンの街角で」「シング・ストリート」もそうだったが、ジョン・カーニー監督は、そういう音楽の持つ力にすごく自覚的に作品を作っているのだと思うし、カーニー監督自身、音楽に助けられた経験が何度もあるのだろう。

参加する予定ではなかった娘が急遽ギターを弾いたり、たまたまその場にいた子供たちにコーラスを頼んだり、人と人を繋ぐものとして音楽を描いたのも素晴らしい。

個人的に好きなシーンは、プレイリストを夜の街を歩きながら2人並んで聴くところと、冒頭、職場でトラブル起こしたマーク・ラファロキーラ・ナイトレイの歌を聴いた時、アレンジが加えられて聴こえたところ!あれは音楽プロデューサーとしての彼の職業病というのもあるのだろうけど、それより何よりきっと彼があの曲にすごく心を打たれて、まるで愛する人の顔が実際より遥かに美しく目に映るように、あの曲がさらに豪華に、完成度の高いものとして感じられたんだと思う。

音楽を愛する人の、音楽を愛する人による、音楽を愛する人の為の、素晴らしい映画でした。

 

犯罪都市

 

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筋はまあよくあるっちゃああるけど、王道を往く故に痛快爽快。いやあ最高。
ドンソクさんは安定のかっこよさだし、悪役のユン・ゲサンさんももう全身から「もうとりあえずやばい悪者オーラ」出ててスクリーンに目が釘付けだった。元歌手の人なのね。好きな俳優さんがまた増えました。

ドンソクさんの腕っぷしの強さが説得力あったのもいいよね。まああの体格の時点で強いってのは一目瞭然なんだけど(笑)、冒頭、ナイフ持って喧嘩する男2人を電話しながら片手間に仲裁(?)するとか、言葉でなく具体的なエピソードによって彼がいかに強い男かってのを観客に説明してる。巧い。

カメラワークというか演出も全体的にすごく良かったなあと思った。音楽流れるタイミングもそうだし、極端な例挙げるならラストのトイレの個室から出てきたゲサンさんからカメラががーっと引いていって迎え撃つドンソクさんがスクリーンに映るとことか。泥臭いレベルに王道なんだけど、故に快感がすごい。

でも一つ言わせてくれ、あの少年!!!どうなった!!!助かったのどうなの?!?!ドンソクさんたちがあれだけ頑張って犯人逮捕したのは、あの少年をはじめとする市民の安全な生活を守る為であって、あの少年が息を吹き返すシーンがあれば、そのテーマももっと説得力をもって全面に来たのになあと。似たような話で韓国映画には「ベテラン」があるけど、あれは飛び降り自殺に見せかけられたジョンミンさんの友人が意識を回復するところで終わったのが最高だったから、どうしても比べて少しモヤモヤ。そこ拾ってくれてたらほんともっと良かったのになあ……!

あと、ラストのトイレのシーン、もうちょいドンソクさんと悪役の戦闘力が拮抗してればもっと面白かったのになあとは思った。また「ベテラン」を引き合いに出してしまうけど、あれはジョンミンさんかなり苦戦してたよね。これはわりとドンソクさん無双だったんで、ラストの対決なんだから、もっと手に汗握る感じにしてくれていいのよ。

 

バッド・ジーニアス  危険な天才たち

 

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初のタイ映画。

130分があっという間!次から次へと襲いかかるハラハラドキドキで、スクリーンに釘付けだった。テンポがとにかく良い。ただのエンターテインメントに留まらず、経済格差や学歴社会の問題にとても自然な形で切り込んでいて、とことんスキのない極上の一品。

この映画の宣伝で、"高校生版「オーシャンズ11」"だと評されていたので、ラストは当然カンニングを成功させて大金手にしてウェーイって感じだろうと思って観てたら、まさかの正反対の終わり方で、そうでなくてもマフィア映画やアメリカンニューシネマ系のアウトローな奴らが大好きときているので、劇場を出てすぐは、成功のカタルシスを期待していた心が宙ぶらりんのまま何処にも行けず正直若干モヤった。はいはい真面目で大いに結構ですね、みたいな。

の、だ、け、れ、ど、少し時間を置いてよく考えたら、主人公は頭脳は鋭いものの成り行きでカンニングに協力しただけのただの高校生。盗みのプロフェッショナルが集まるオーシャンズシリーズとはわけが違う。彼女は当然アウトローとして生きていきたいわけでもなし、自分の犯した罪を見つめて反省して、償うことこそがこの映画の落とし前だよなあと。

ピアノの運指、鉛筆のバーコード、とカンニングの手段が非常に巧みかつ絵的にも映える映える。ちょっとした親切心で始めた事業が多くの人を巻き込んで誰にも制御できない大きな渦に変貌してゆく様も実際的であった。

誰もが経験してきた「テストの成績で将来が決定する怖さ」や「親からの重圧」を扱っているので様々なキャラクターに感情移入出来るのもこの映画の強みよね。

主人公役の子が無駄にスタイル良いな、と思いながら観てたんだが、パンフ読んでモデルである事が判明して納得したと同時に演技初挑戦と知りぶっ飛んだ。父親との距離感、罪悪感とスリルの間で揺れ動く心情など、複雑な役を難なくこなしているのが凄い。今後も是非女優業にも力を入れて欲しい。追いかけます。

あと、まあこれはどうでもいいんだが、トイレの個室で「長すぎるぞ、出てこい」と言われて一言も返事しないなんて逆に怪しまれるだろ!「お腹壊しちゃって……」とか言うぐらいのアドリブ力付けとけよ青年!と思ったが、まあ冷静な判断が出来なくなるレベルにリスキーかつ緊張する役所背負わされたってことよなあ。あの青年と主人公、最後に選んだ道は大きく変わってしまったけれど、あの映画においては誰もが加害者かつ被害者なわけで、そういった多層的な構造も見事だなあと。

 

ボヘミアン・ラプソディ

 

ラスト20分、チャリティコンサートのステージに入っていくフレディの後ろ姿が映し出された瞬間からなんか知らないけど涙がだーって流れてきてあとはひたすら号泣しながら観ていた。

なんていうか、生まれた時には既に彼が故人であった私らの世代とか、そうでなくても海の向こうでコンサートに行けなかった多くのQueenファンの無念、いやそれだけじゃない。フレディは病死しているから、解散コンサートも出来なかった。つまり生で聴いた人のなかにも、はっきりと「これが最後だ」と覚悟して立ち会えた人は一人もいない。別れは突然やってきた。そういう全てのファンを、あの20分は確かに救済したんだと思う。愛を追い求めながら無念にも亡くなったフレディ・マーキュリーと、私たちファン、両者の魂を成仏させてくれた気がして、本当に涙が止まらなかった。この映画に関わった全ての人、そしてQueenに、心からありがとう。

 

コインロッカーの女

 

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5.0
因業と呪い、そして歪んだ「愛」の物語。
コインロッカーに捨てられたその時から、イリョンはその人生を血の繋がらぬ母、つまり「他人」に牛耳られてきた。
他者に命じられて金を取り立てる。他人の益の為に人を殺す。
母をその手にかけた時、彼女は彼女の人生を己の手網のもとに取り戻したに見えた。
だが今際のきわ、母が苦悶の中で絞り出した「自分で決めろ」という言葉で、彼女は自分の人生を自分の手に取り戻すどころか、永遠に母の意思のもとに生きることになる。何故なら、この後彼女がどのように自由意志を行使しようと、それはすべてあまねく「自分で決めろ」という母の言葉の上に成り立つものになるからである。「自分で決める」ことを、決められた。こうしてイリョンは未来永劫、母の言葉に呪われる。
己の人生の最初の場所であったコインロッカーから母との養子縁組の書類を見つけ、イリョンは名実ともに母の呪いのもとに生きることになる。かつて母がそうであったように。

ソッキョン殺害時に母がイリョンを殺さなかったのは、イリョンへの最後通告だったんだと思う。少し親しくなった程度の男一人を殺すどころじゃない、もっと残酷で自分の意思ではどうにもならない事態がこれからお前を待ってるぞ、そこにお前は生まれた時からいるんだぞという。

全体的に薄暗い画面が作中の大半を占めるあの映画の中で、しかし家族写真の回想シーンは切ないほど光が眩しくて、やはりあの映画は歪んでいようとなんであろうと母のイリョンへの「愛」が死によって貫徹する話なのだと思った。お前はこれから自分で決めろ、ということを親として「決める」という呪い、笑え、という呪い。母は他でもない自分の死という最大のものでイリョンを未来永劫解けない愛という名の呪いで縛り付けた。

役者の演技がとにかく皆鬼気迫っている。1本ピーンと糸を張ったように突き放しながらも情感滲み出る音楽もいい。ラストは同じく韓国映画「新しき世界」を思い出したり。

 

キング・オブ・エジプト

 

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なんか、キャラクターの造形がすっごいリアルなゲームの実況を見てる感覚というか、週刊少年ジャンプの漫画をめっちゃ金かけて映像化した印象というか……脚本も演出も良くも悪くもざっくりしてる。

衣装や美術はかなり凝っていて綺麗なのに、魅せ方がいまいちなので生かしきれていない。バトルシーンもやった者勝ちというか、キャラクターが各々自分の属性に沿った闘い方をするので(このへんほんとゲームっぽい)、誰がどの位強いのかとかあんまり読み取れない。

要するにこれは頭空っぽにして考えるより感じろって路線の作品なんだと思う。……のだが、折角「感じ」たいのに前述の通り演出が今ひとつなので大して視覚的快楽も得られないんよなあ。まあ、半年にいっぺんくらいはこういうの観ても悪くないかなって感じ。それ以上でも以下でもない。

 

スパイ・ゲーム

 

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男どうしの絆というと、やはり主演・ロバート・レッドフォード出世作・「明日に向って撃て!」が真っ先に思いつきますが、まあこれもストーリーこそ騙し騙されで錯綜するものの、本当に真正面からの「男の絆」映画でした。こういうのほんと好き。

カット割り、カメラワーク、音楽なども適度にスタイリッシュ、適度に足が地に着いており、スパイ映画とはかくあるべきだ!という感じの良作でしたね。

しかしブラピのスパイ活動の理由が結局好きな女を助けるっつう極めて個人的なものであったのがなんとも。いや愛を完徹するのは素晴らしいと思うんですが、出来れば仕事人としてすべてを全うして欲しかった。まあこれはもう個人の好みですね。

 

小さな悪の華

 

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フランス映画の面目躍如。

キリスト教圏だからこそ成立する中二病、と言ってしまえばそれまでだが、インモラルに付き纏うある種淫靡な美しさに魅せられた二人の少女が悪に従い悪に殉ずる姿の凄まじさよ。

悪魔主義に自ら望んで染められていく彼女らはきっと、炎に包まれてなお自分達の行動が起こした事の重大さにも罪深さにも本当の意味では気付いていなくて、その視野の狭いあたりも思春期という言葉がしっくりきますね。

媒体問わずいわゆる「恐るべき子供たち」とでも呼べるジャンルが、狭いながらも確立されているが、数多ある作品群のなかでも、この作品はとことん徹底的。

なんか結論のまとめに困ったので、同じくフランスの作家であり、代表作のタイトルからしてまんま「恐るべき子供たち」であるジャン・コクトーの作中の一文を引用して〆ましょうかね。

「世間知らずで、罪を犯すほど純粋で、善と悪を見分けることができない子供たち」ーージャン・コクトー恐るべき子供たち』(光文社古典新訳文庫)より

 

川の底からこんにちは

 

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いやー良かった!前半は正直、主人公の投げやりな性格や周りの人間の性格の悪さに割と苦痛だったんだけど、観終わってみればそれらの要素も全てこの素晴らしい映画を作り上げる為の必要材料だった。

「しょうがないですよね」で妥協するんじゃなくて、会社で見下されても、男に捨てられても、「中の下」でも、もう何でもいいから、とりあえずグダグダ文句垂れたりする前に開き直れ!自分を愛さなくてもいい、認めろ!目の前のことをやれ!っていう泥臭くも愛すべきメッセージ。

笑いにも泣きにも無理矢理にはもっていかず、突き放し気味の演出が良かった。父親が亡くなった次の日に主人公が喪服姿でいつものようにウンコ撒く、そのバランス感覚最高。

満島ひかりの剥き出しの演技が光っている。社歌のシーンとか爆笑した。子役もいい演技してたなー。ラストシーンは号泣しながら爆笑するという大変稀有な映画体験ができた。

ダルいけど、しょうがないから頑張ってやっか。って思える。脱力しながらも前向きに笑える映画。

 

ウォールフラワー

 

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青春要素や主人公の成長、そのあたりは良かったんだけど、叔母とのトラウマや幻覚への言及があまりに中途半端。まあ原作モノだし仕方がない面はあるのだろうけれど、性的虐待や精神病といった映画によってはそれだけで主題になりうる重いテーマを扱うならもうちょい尺とって丁寧に説明すべきでは。正直ノイズにしか思えなくて、せっかく青春の煌めきや痛みにノッていたのにそこへの言及があるたびに足を引っ張られた印象。

国語の先生とのエピソードが良かった。あの時期って、歳の近い友達や恋人は勿論だけれども、メンターとなってくれる大人との触れ合いでその後の人生が大きく変わってゆくものだと思うので。

 

アイアムサム

 

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とにかく人間描写が良い。脇役の隅々に至るまで感情の流れや人柄が深く描かれている。

サムでいえば、まずルーシーが生まれ、サムがビートルズの「Lucy in the sky with diamonds」をの詩の一片を口ずさむところからして、あのシーン、あの描写ひとつでサムがどういう人間なのか、生まれてきた娘に対してどういう気持ちでいるのかがダイレクトに伝わってくる。部屋にもビートルズのポスターが貼ってあったりして、こういう細かい描写のひとつひとつがキャラクターに説得力と深みを与えるのだと思った。こういうところを疎かにしない映画はそれだけで傑作になる可能性を秘めているし、実際そうである場合が多い(経験上)。そういえば今作でルーシーを演じるダコタ・ファニングの最新作、「500ページの夢の束」でも(こちらも本作と同じくハンディキャップを持った主人公の話なのだが)、主人公が「スタートレックシリーズ」の大ファンだったな(ちなみにこの曲、ビートルズのなかで個人的に一番好きな曲なのでもう冒頭からやばかった……というのは私事なので割愛)。

ルーシーも、女性弁護士も、サムの友人達(靴屋のシーンが好きだ)も、皆とても良かったが、個人的にはルーシーの里親の女性が好きだった。最初はサムをルーシーに近づけまいとするのだが、ルーシーとサムをいかに愛しあっているか、お互いを大切に想っているかを知るにつれ、当初は煙たがっていたサムをルーシーと会わせる事を認める。最近ネットだか本でだかで読んだ文章で、「養子縁組制度というのは、子供を欲しがっている親のためではなく、親を必要としている子供のために存在し、またそうあるべきである」というようなものがあったのだが、この里親の女性はまさにそれを体現させているなと思った。自分の意に沿わないことでも、愛する人が何を一番望んでいるか、何が相手のためになるか。それを考え、実行することこそが愛なのだと。

ラスト、歳の近い子供たちとサッカーに興じるルーシーを、サムやルーシーを愛する人々が笑顔で見守るシーンは、映画史に残る名シークエンスだと思う。なんというか、「親権」というのは法律上でこそ「奪い合う」ものだけれども、心の上ではそうではなくて、子供を愛おしむ全ての人が「共有」し、それぞれがそれぞれの形で見守っていければいいよね、という考え方が大事だし、それが一番子供のためにもなるのではないか、と、あのキラキラした幸福なラストシーンを観ながら感じた。

題材が題材だけに、ともすれば説教臭くなってしまうところを、愛で溢れた脚本や演出が、絶妙に心を温めてくれる素晴らしい映画だった。

 

未来を花束にして

 

未来を花束にして [DVD]

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今私達が当然のように手にできている権利は、かつては当たり前などでは全くなくて、先人達が様々なものを犠牲にしてやっとの事で獲得してくれたものだということが、改めて身に染みて感謝と尊敬と共に実感できる作品だった。

ショーウィンドウに石を投げつけたりポストに火をつけたりというのは、それ単体で見れば野蛮な行為だが、そこには長く平和的に訴え続けるも無視を決め込まれたというバックボーンが存在する。冒頭の場面で女性活動家が「言葉より行動を」と叫ぶが、彼女らがそこに行き着くまでの道程でいかほどの苦渋があったのか。それを理解しない者たちからどれだけの嘲笑や陰口を受けたのか。痛みなしに改革などあり得ないというのは不条理な事実だが、その不条理を飲み込んででも、掴み取らなくてはならないものがあるのだ。

全体的に良かったが、特にいいなと思ったのは、参政権ゲットしてハッピーエンド、という終わり方にしなかったところ。彼女らに作中で勝利を与えるのは簡単だけれど、あえて「これからも闘いは続く」というような終わり方にすることによって、この作中で描かれる女性差別は決して無くなったわけじゃなくて、今もまだ形を変えて存在していて、今この映画を観ている自分たちも当事者として考え、動いていかなくてはいけないのだな、と問題意識を持たせる構造になっている。ここでこういうことを書くのは野暮かもしれないが、彼女らが闘い続けた結果獲得した婦人参政権は今でこそ私の手のなかにあるけれど、こんにちの日本において、現政権の性差別をふくんだ保守的・懐古主義的な政治が行くところまで行き着けば、女性や弱者の参政権はあっさりと摘み取られてしまってもおかしくないと思うのだ。この国で生きていて、少なくともわたしにはそういう実感がある。だから、権利を持つ手のもう一方の手で、私達は投げるための石を持つ覚悟をしなくてはならない。

家族を失い、職を失い、逮捕され、劣悪な環境で罵声を浴びせられ続け、それでも己や次の世代のために闘うことをやめなかった女性たち。彼女たちの運動は、今を生きる私達にもたしかに引き継がれているのだ。

未だに女性差別は様々な国で、様々な形で、生活の様々な場面で根付いている。自分はそれらに毅然とNOを突きつけ、闘う事ができるか、観ながらずっと己に問いかけていた。

 

ミッドナイト・イン・パリ

 

「昔は良かった」。「あの時代に生まれたかった」。
私は70年代の映画や90年代の音楽が好きなもので、それらをリアルタイムで楽しめた世代であるところの両親や祖父母の当時の話を聞くたびに、心からそう思う。
この映画の登場人物の多くも同じだ。文学、絵画、詩、音楽……何かしらの芸術を愛し、芸術に生きる彼らは、「偉大なる先人」の生きた時代に惹かれている。

この映画の主人公であり、婚約者達と憧れのパリを観光している、小説執筆中のハリウッドの脚本家・ギルは、フィッツジェラルドジャン・コクトーピカソヘミングウェイら、彼にとっての「偉大なる先人」の生きる1920年代のパリへと毎夜のごとくタイムスリップする。私達は彼の目を通して、その時代を追体験する。"現在"の住民である彼は幾度も口にする。「もっと昔に生まれたかった」。そう、同じく"現在"を生きる私達を代弁するかのように。
しかし、私達はギルと同時に、意外なことに気付き始める。「黄金時代」であるところの20年代を生きる人々が、「私にとって過去は偉大なカリスマなの」「"今の"画家には描けない」「ルネサンス期に生まれたかった」と、次々と過去への憧憬と、現在への不満を語り出すのだ。
やがて彼は、そして私達は気づく。どんな時代にもそれぞれの時代のカリスマがあり、その時々の不満がある。人生というのは不満に満ちていて、だからこそ完璧な過去にすがりたくなるのだと。そしてそれは、私達が今を生きているからこそなのだと。そして何より、ギルの小説の主人公の職場がノスタルジー・ショップ(古き昔の道具や記念グッズを売る店)であるように、また、フォークナーが「過去は死なない、過去ですらない」と言ったように、"今"というのは"過去"の堆積の上に成り立っているのだと。

所謂「昔は良かった」系の映画なのだろうなと思って観ていたのだが、蓋を開けてみれば、「昔の素晴らしさ」を描くことで「今を生きること」の価値を高らかに宣言するという構造の妙に唸らされた。思えば、"今"のパリの街並みをひたすら美しく映す冒頭数分から、既にこの映画は「今を生きること」を全力で賛美しているのだ。

これは私個人の意見だが、フィクションというのは現実からの逃避場所ではなく、明日を歩く活力の源であるべきだ、と常々思っているので、今を生きること、つまり人生を生きることはこんなにも素晴らしいのだという人生賛歌が作品の隅々から謳われているのがほんとうに良かった。また、パリの街並みや音楽の美しさも言うまでもない。私はこれからも、両親や祖父母の話を聞くたびに彼らを羨ましく思うのだろうけれど、同時に、今この時を生きられることを、幸福なこととして胸を張って生きていけるだろうと思う。

 

超高速!参勤交代リターンズ

 

超高速! 参勤交代リターンズ [DVD]

超高速! 参勤交代リターンズ [DVD]

 

一作目と同じく、勧善懲悪、人情モノ、誰も傷つけず、誰もが安心して観られる娯楽作。とにかく、笑い、策の面白さ、人情、殺陣と言った要素のバランスが絶妙。小説版ファンとしては、やや一本道すぎる脚本やキャラクター描写の深みが足りない点が惜しく思えるが、二時間の映画にまとめるには枝葉をいくつか切り落とさなければならないことも理解できるし、切り落としていい枝葉といけない枝葉の区別が製作の中でしっかり付いているので食い足りない印象はない。

物語としての前提がまず「金も人も無いなかでお上に命じられ数日で参勤交代」という「大嘘」なので、鎧を貫く矢じりや、かすり傷ひとつ負わず敵を圧倒する味方軍など、ともすれば冷めてしまうリアリティの無さも、「そういうもの」として(少なくとも私は)楽しむことができた。リアリティは無いが、リアリティラインはしっかり設定されているのだ。

また、ここでは分かりやすいラストの千対七人の戦を例に挙げるが、味方七人の軍勢が引き気味のショットでカメラに向かって歩いてくるカットや、佐々木蔵之介演じる政惇の「人の大事は誰と出会ったかだ!人は、宝だ!」など、画もセリフもちゃんとキマっている。

前作や小説版のメインテーマであった、人を信じること、人を思うこと、人のために尽くすこと、正義に殉ずること、といったテーマもきっちり継承されている。随所に笑いも散りばめられており、説教臭さも鼻につかない。笑顔で観れてたまにハラハラして最後は爽快な気分で席を立つことができる、エンターテイメントとしての映画として、何気に傑作なのではないかと思う。

散々褒めてきたので、勿体無かった点をひとつ。主人公・内藤政惇の存在感がいまいち薄い。人情家で家臣に慕われ、民に慕われ、村の子供たちの名前も一人残らず覚えている、という設定自体は主人公像として素晴らしいものだと思うが、それらはあくまで「設定」であって、じゅうぶんな描写が伴っていない(全く描写されていないわけではないが)。家臣が皆それぞれ脇役としてキャラが立っており埋もれてしまった感が。結果的に悪役・信祝の方が印象が強くなってしまっている。二時間でテーマを押し出しつつ笑いも人情も入れてストーリーを運びなおかつ人間を描く、というのは並大抵の事ではないのだろうが、なまじすごく楽しく観れただけに、そこだけが少し残念。

 

オーシャンズ11

 

オーシャンズ11 [Blu-ray]

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安心して観れる、王道かつスリリングな娯楽作。ターゲットの予想は言うに及ばず、私達観客の予想をも上回ってくれる展開と策がめちゃめちゃ爽快。音楽や画、テンポもとにかくひたすらスタイリッシュ。
まあそれはいいんだけど、15年以上前の作品だから仕方がないとも思うんだが、ジョージ・クルーニーの元妻があまりにモノ扱いというか、完全に男同士の駆け引きのトロフィーと化してるのがやっぱりちょっと……。まあでも、昨年の新作・オーシャンズ8が全員女性であるところを見る限り、制作側はちゃんと時代性を反映して過去作の問題点に新作で落とし前をつける姿勢でいると評価できるのかな? 本作含め13までの三作で「カッコいい男達」を描いてしかもちゃんと成功している状況下にあって、これがもし生半可な監督なら「男のロマンこそこのシリーズのキモ!」って思考停止しちゃいそうなところを、「いやこれが全員女でも同じようにカッコよくなるんじゃね?」って発想できて実際に実現させしかもちゃんと成功しているのは、さすがエンタメの何たるかを分かっているんだなという感じ。ただ本作を単体として今観るとちょっとなあ、ってトコですかね。

 

時計じかけのオレンジ

 

時計じかけのオレンジ [DVD]

時計じかけのオレンジ [DVD]

 

美術や音楽がとにかく洗練されていて、先鋭的に磨き上げられた暴力の美しさに興奮しながら観ているんだけど、ふと何気なく自分の手の平を見下ろした時に、おのれの中にも存在する暴力性に気付かされてふっと真顔になる。みたいな映画。タイトルとかテーマは要するにキリスト教で言う所の「人間の自由意志」なんだろうけど、そんなことより嫌悪感に到達するギリギリのとこまでの露悪趣味ってここまで人をハイにさせるんだなと驚愕。この映画は隅々までスタイリッシュに作り込まれているけれど、その芸術性が単なる視覚的快楽に留まらずに、秩序とか正義感みたいなものを薄皮を剥くように一枚一枚丁寧に引っぺがしていったあと最後に顔を出す自分の中の暴力性に気付かせるという構造を支えてるのが見事。原作はともかく、ことこの映画に関しては「このタイトルは何の暗喩なのだろう」みたいな考察は多分野暮では(映画内ではそもそもオレンジのオの字も出てこないし、原作読めば考えるまでもなく普通に説明されているので)。あとアレックスのコスプレしたい。右目下瞼のつけまつげマジかっこいい……キューブリック天才……

 

 

スカーフェイス

 

スカーフェイス [Blu-ray]

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自分、パチーノ好き好き言ってるけど、70年代パチーノばっか観てたので、何気に80年代の彼の出演作観るのって初めてかもしれん。

展開がとにかくテンポいい上に、敵対勢力との戦い、女との駆け引き、仲間の裏切り、下克上、家族との確執、と描かれる状況も刻々と変化してゆくので、長尺だけど全く気が散らずに夢中でラストまで突っ切れる。

トップまでのし上がった瞬間から既に落ちぶれてるのがビンビンに伝わってくるパチーノの怪演がもう最高。私はとにかくゴッドファーザーシリーズが大好きなんだけど、同じマフィアでもこの作品におけるそれは時代も目的も全く違う。シチリアから逃げるために移民としてアメリカへ渡ってきて、社会で生き延びる為の手段として権力を手にし、麻薬の売買には一生関わろうとしなかったヴィト・コルレオーネや、父親から受け継いだファミリー業を完遂する為に冷酷さと禁欲を己に強いたマイケル・コルレオーネに対し、この映画の主人公・トニーの目的はどこまでも金と女とヤク、つまり己の欲望のみに忠実に動く。トニーの部屋の絢爛豪華ぶりやしょっちゅうヤク吸ってる姿からもそれは一目瞭然。だから部下や友人は付いてこないし、女は離れていくし、最後は殺されるし。マイケルやヴィトも勿論良い暮らしはしてるんだけど、己の身の丈にあった生活を選んだら自然とそうなったのであろう彼らと違って、トニーはとにかく金のために行動し、そうして入ってきた金で武装する。ガンガン殺人犯すのも、冷酷でクレバーだからではなくて、単に沸点低くて自分の邪魔になる人間に我慢できないだけ。無駄に装飾された椅子に座って、絢爛豪華な調度品が置かれた机の上のヤク吸いながらパイプふかす彼の姿は、痛々しいと言っても良いほどに力と金とに溺れている。こういうトニーの性格というかある種の脆さが、話が進むごとに露呈していく作りが堪らんすね。

なんであそこまで妹に清廉性を求めるのかなーと思ったけど、もしかしてあの妹は映画の機能的にはかつて純粋であったトニーの魂のアレゴリーで、決して侵すことのできない、侵しちゃならない己の聖域としての象徴なのかな。だからジーナが死んだ(=マトモな人間性を永遠に失った)あと、トニーは鬼神になるしかなかったし、その先にあるのは破滅だった。血で汚されていくプールに浮かんだトニーの姿を映したあとの「世界はあなたのもの」はめっちゃくちゃ皮肉が効いてて大好きでした。

 

ショーシャンクの空に

 

ショーシャンクの空に [DVD]

ショーシャンクの空に [DVD]

 

無実の罪で刑務所に入れられた主人公が自由を手に入れる……っていうめっちゃざっくりしたあらすじだけ知ってて観始めたんだが、調達屋が出てきた時点で何故か私は「よっしゃ、この主人公はこいつ経由で証拠を外部からひとつひとつ手に入れて己の身の潔白を明かし自由になるんだな、どうやるんやろ、そこらへんの技巧楽しみだな」と完全に思い込んだので(韓国映画「華麗なるリベンジ」の影響か?)、まさかの脱獄でめっちゃびっくりした。でも、途方も無い時間をかけて、多分彼自身ときたまに途方に暮れつつ、それでも諦めることなく、己の未来を切り開くかのように少しずつ少しずつ壁を削ったんだな、と思ったらめっちゃ涙出てきた。角部屋でよかったね、とは思ったけど。

長尺のうえに、ほとんどが刑務所のなかのシーンであるにも関わらず、冗長に感じたり話がダレてしまう部分が全く無い。一本の映画として完成度がはちゃめちゃに高い。名作名作言われている所以が身をもって分かった。

だが不満点がないわけではなく。主人公が「希望」がどうこう、って話すシーンがあったと思うんだが、主人公に直接「希望」とか喋らせたのはあれはもう陳腐としか言いようがないと思った。どんな作品にもテーマやメッセージがあると思うんだけど、それをそのまんま台詞として登場人物に喋らせるのは明らかにNGだろう。そのまま言葉にしちゃうなら二時間以上の映画作るなんて回りくどい事やってないで監督か脚本家が駅前とかで「どんな境遇でも希望を捨てないことが大事です」って演説すれば良いんであって、そうしないでひとつの作品に乗せて観客に届ける道を選んだのなら、それはエピソードに託さなくてはいけない。しかも本作、テーマを伝えるだけのエピソードはちゃんと十分に積み重ねられているのだから、そこで駄目押しみたいにキャラクターに言わせたのは最後の最後で観客を信頼していないというか、臆病だなあと。それまで沢山の力強いエピソードをひとつひとつ組み上げてきた意味が無い。そこ除けば、本当に素晴らしい映画だと思った。

 

鍵泥棒のメソッド

 

鍵泥棒のメソッド [Blu-ray]

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こういう「軽い気持ちで安心して観れる娯作」って、もっと評価されていいと思う。何気に作る上で一番技術が必要とされる分野では。問題提起としての側面がある作品や、壮大であったり、重い主題を扱った作品は、多少の粗があったとしてもテーマに強度があるからそこで観客を引っ張っていけるけど、この作品のような単刀直入、直球まっすぐなエンタメは、どの観客も傷つけてはいけないし、とりあえず話を転がしてくれるインパクトのある主題も持たないぶん、脚本や演出がよっぽど巧くないと観客をラストシーンまで連れていくことができないと思うので。

まあ御託はこれくらいにして、とにかく楽しく観ることができました。大満足。何度も笑ったし、ちょっとハラハラもしたし、最後は幸せな気持ちでエンドロール迎えられたし。「あー楽しかった」で終われる作品、もっと評価されていいし、もっと沢山作られてほしい。人に薦めやすいのもこの手の映画の良いところだよな。

あとどうでもいいけど、堺雅人香川照之って共演多いなーとふと。しかもどの作品も割とがっつり絡むし。この作品で、そのおふたりの俳優さんがもっと好きになりました。

 

あぜ道のダンディ

 

あぜ道のダンディ [DVD]

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川の底からこんにちは」もそうだったけれど、序盤わりとストレスフルなのに、観終わってしまえば、これほど愛おしい映画が他にあるだろうか、ってしみじみ思える良作。

「川の底〜」と同じく、「笑い」ポイントは多々あるんだけれど、それらがただの「ウケる〜」みたいな安っぽい単純な笑いで完結しておらず、そこにプラスアルファとしてある種複雑な感情が注がれているのが良い。例えばお母さんのテープのうさぎのダンスにしても、娘の「安月給」連呼にしても、主人公の癌疑惑で先走って遺影まで作っちゃうとこにしても、彼らは別に誰かを笑わせようとかふざけているとかアホだからだとかいうわけじゃなく、彼らはどこまでも真剣でやっていて、でもその真剣さがはたから見るとどこか「ズッコケて」いて、そこではじめて生まれるのが本作に散りばめられた「笑い」なのだ。まず前提として、「彼らは真面目であり、真剣」なのである。そしてここからが重要なのだが、彼らの真剣さはどこから来るのかと言えば、それは彼らの胸中を満たす、やり切れなさや申し訳なさ、悔しさといった思いだ。前述した複雑な感情とはそれである。だからこそそれを観た私達観客は、笑いながらも、同時に、切なかったり苦しかったりといった情動を己のなかに見つけるし、そこに名前をつけるならば、それは「愛しさ」であったり「哀愁」であったりするのだと思う。

また、さらに翻って言えば、切なさや苦しさを、笑いでくるんだ上でこちらに投げてくれるので、深刻だったり重い映画にならないのも素晴らしい。この映画の登場人物たちはどいつもこいつも不器用で一生懸命で、そしてそんなところが堪らなく愛おしいけれど、だからといってこの映画がありがちな「不器用な人々が織りなす感動ストーリー」みたいなものと一線を画す出来・後味であるのも、それだからこそだ。

うさぎのダンスのシーンとか、「依然として後方」とセルフ実況中継しながら自転車を漕ぐところとか、瞬間最大風速的に愛おしい一コマも多かった。この世に存在するあまねく全ての映画は、作品そのものの印象を、楽しいとかカッコいいとかハラハラドキドキとかそれぞれ一言で表すことができると思うんだけど、この映画は間違いなく「愛おしい」だなあ。

 

 

ハンサム★スーツ

 

ハンサム★スーツ [DVD]

ハンサム★スーツ [DVD]

 

たいして期待せず観始めたんだけど、面白かった! 終盤はなんだかホロリとしてしまった。ペーパーを買った帰り道、「他人の小さな幸せ」を見つけるゲームのシーンは観客としても多幸感があって、主人公の心情に説得力があった。あのふたりの人柄の素敵さをすごく丹念に描いてあって、終始笑顔で観れたし、エンタメとして最高。

ただ、残念だったのが……ブサイクな男の幸せ(気付かないだけで本当は琢朗のまわりにあった小さな幸せ)、ブサイクな女の幸せ(モトエとしての姿のままで好きになってもらえた)、ときて「ハンサムな男」「美人な女」の幸せに言及がないのは気になった。見た目だけでチヤホヤされて内面を見てもらえない、という北川景子の悩みに、結局最後までアンサーがなかったので。あと、公園でのブサイク時琢朗の「ブサイクだと中身どころか興味すら持ってもらえない」も結局フォロー無しだったなあ。杏仁としての成功も顔ありきの虚飾にすぎなかったし。まあこの映画で制作側が描きたかったのは美醜についてのアレコレよりも、自分の周りにある小さな幸せを見失うな、大切にしろ、というところなのだと思うし、そこに関しては完璧で、とても楽しく観れたのは確か。ただ美醜というデリケートかつ誰にとっても切り離せない問題をモチーフに作った以上、そこはもっと丁寧に扱って欲しかった。

役者はみんな凄かったなあ。ハンサムになった琢朗がついつい地を出しちゃうとこなんか、谷原章介が塚地の演技やクセを絶妙にコピーしてて爆笑。

 

 

ヘアスプレー

 

ヘアスプレー [DVD]

ヘアスプレー [DVD]

 

ひたすら楽しくて、キュートで、ポップで、そのテンションのままちゃっかり人種問題にまで深く切り込んだ誰もが知る名作。

ヒロイン・トレーシーが、前向きなんだけど、何があっても気にしない!じゃなくて、辛い事があったら一回落ち込んで、そこから立ち直る、というプロセスをきっちり描いているのが良かった。彼女は超人じゃなくて、私達観客と同じ人間なんだよ、という。だからこそ親しみが持てるし、ともすれば鬱陶しくなりそうなところを綺麗に回避している。

肌の色、体型といった、「ありのまま」を大切にしながらも、一方で「髪型やファッションで理想の自分になる」ことの素晴らしさも肯定しているところも好き。「"人と違ってる"のがいいことなの」という作中の台詞からも分かる通り、自分が自分であることを心から愛そう!っていう、ダンスで歌で伝えられる力強いメッセージ。またそのミュージカル部分がひたすらにハッピーで、人種差別なんてくっだらないなあ、それよりこの映画の登場人物達みたいに人生楽しもうよ、っていう視点から問題提起されているので説教臭さがなく、むしろ説得力がある。

意地悪親子のお母さんのほう、なんか見覚えあんなーと思ったらアイアムサムの人か!ほぼ真逆の役柄なのにどっちもこれ以上ないほど役にはまっていた。

楽しかったです。今度は友達や家族と観たいなー。

 

マッドマックス2

 

マッドマックスFRの原点全てここにあり!って感じだった。世界観にしても車のデザインやキャラクターのビジュアルにしても。1とは完全に別物。どっちも好きだけど、この作風の変化、いったい監督に何があったのだろうか?

という邪推はさておき、ガソリンや弾が貴重だ、っていう設定を、登場人物に逐一台詞で説明させるんじゃなくて、キャラクターが矢や銛を使ってたり、弾をスーツケースに大事にしまわせたり、溢れるガソリンを容器で受け止めることで集めていたりといった、あくまで「映像」による「描写」で説明する姿勢が観客に対して誠実だなと思った。観客を信頼しているというか。FRもそうだったけど、あの姿勢はここから継承されているのだなと感慨があった。

乾いた大地での派手かつ容赦無い命のやり取りのなかであのオルゴールが唯一のイノセントな部分というか清涼剤の役目を果たしていて、ただの暴力映画に留まっていないのも好きだ。マックスとあの子供の心の交流、戦場で互いを信じる、ある種ピュアな精神性みたいなもののアレゴリーなのだろうか?良い映画であった。

 

 

2001年宇宙の旅

 

2001年宇宙の旅 [Blu-ray]

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これ、腐すことはいくらでもできて、例えば説明を限りなく省き観客を未知の世界に誘う作りにより完成した究極の意味不明映画であるし、尺の取り方もわざとにしても超不親切なんだけど、観客に理屈じゃない恐怖を与える手腕がべらぼうに巧いし、観衆の価値観やものの見方を傷つける装置としての芸術としてあまりに完璧なので、最後は恐怖と興奮に身体中鳥肌立てながら白旗を上げるしかないさいこうの映画なんだよな。でも何度観てもほんっっっっっとうに眠いです。

 

チチを撮りに

 

チチを撮りに [DVD]

チチを撮りに [DVD]

 

「あの」湯を沸かすほどの熱い愛の中野量太監督の中編。二本目を観ることで中野監督の理想の母親像みたいなのがよりクリアに見えてきて、なんつーかこりゃキツイ。

監督の描く母親像、いやまあ二本しか観てないんでおちおち語れないんですけど、とりあえず二本観た限りでは、家族の中で母が絶対的権力者として君臨していて、娘達が母のマインドを受け継いでいることが問答無用で良しとされているの普通に怖いんですよね。逃げ場が絶望的に無い。

あと、「湯を沸かす〜」でも本作でも、母親が娘のブラジャーを干すシーンがあり、その後娘に新品のブラジャーを買ってきたり買おうかと提案してくるシーンが割と印象的に挿入されているのが本当に気持ち悪いです。男性監督だから母と娘の関係がよく分かってないのかもしれないけど、「えっまたブラジャー…」とものすごく引きました。

で、やっぱ、「お母ちゃん」なんですよね。呼称。「ママ」でも「お母さん」でもなく。お母ちゃん。さばけていて開けっぴろげで肝っ玉母ちゃんなんだけど不器用さというかある種の弱さもあるという。中野監督の願望としての母親像が映画見てるともうビシバシ伝わってきてひたすらキツいんだよなあ。

この監督は基本的に「家族」を描きたい人なんだと思うんだけど、顕著な「母親像」はじめ、姉妹や親子の連帯や情がナンジャコリャってレベルで独特(婉曲的表現)なので、結果映画全体がものすごいえも言われぬ気持ち悪さにつつまれるんですよね……あー怖いものを見た(好きです)。

 

新感線  ファイナル・エクスプレス

 

新感染 ファイナル・エクスプレス [Blu-ray]

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はじめてのゾンビ映画。世に存在するゾンビ映画がどのようなものなのかは知らないが、そういったジャンルの鎖から解放した1本の独立した作品として観ても、ゾンビが活劇にちゃんと機能していたので、まあいいんではないか。
家族愛、恋愛要素、泣かせの演出、クズな悪役、正義にバトル……ともうほんと笑っちゃうほど要素詰め詰め映画だったんだけど、そういった映画にありがちな、結局全部安易で中途半端で観客を舐め切ったようなところが目につき過ぎないのが良かった(そういうきらいが全く無いとは言わん)。どの要素もちゃんと機能してた。
あと、私はほんとこの邦題に最初ガックリきたんだが、そういう王道な「ゾンビもの」をやりつつ、そこに考えつく限りのヒューマンドラマを注ぎ込みまくった故に生まれたある種のカオス感が、滅茶苦茶な邦題に意外とマッチしているんでは?と思ったり。
あとは……ゾンビから必死に逃げたり闘ったり知恵を絞ったりと前半緊迫したパニックゾンビムービーだったのに、後半、主要人物が死んだり感染する度にスローモーションになるのでテンポがめためたになったのは少々残念。こういうスローモーション演出はよく見るけれど、スローモーションに頼らないと観客に涙を流させることもできなくて、逆に言えばスローモーションかけとけば感動するだろうって思ってるんだろうか。なんかなあ。
まあ、楽しかったです。ドンソクさんは出演作品観る度に惚れる。

 

 

沈まない三つの家

 

中野量太監督作品 沈まない三つの家/お兄チャンは戦場に行った! ? [DVD]

中野量太監督作品 沈まない三つの家/お兄チャンは戦場に行った! ? [DVD]

 

「湯を沸かす〜」も「チチを撮りに」もそうだったけど、中野監督はどこか「欠けた」家族を欠けたまま肯定するというか、むしろ欠けてるからこそ充たされる瞬間があるというのを描くのが巧いなと思う。

中野作品は本作で言えば太股、「湯を〜」「チチを撮りに」で言えばブラジャーと、作品中での少女に対する視線にナチュラルに変態性が宿っているので、時々ふと真顔にさせられるというか、ただの「お涙頂戴家族映画」で終わらないのがサイコー。

あと、水中ゴーグルの使い方が本当に秀逸で、ゴーグルというのは空間を水中と隔てる装置なんだけど、ラスト、ゴーグルを外すと中に溜まった涙が溢れ出したという事は、息子を亡くした母親は涙が溜まったゴーグルの「水中側」に居たんだよな。沈みかけていたという。ゴーグルを外した、すると涙が溢れ出た、そういう画としてのうつくしさに留まらず、そこに「川」「沈む、沈まない」という概念を当てはめたときに非常にロジカルな作品構造が押し付けがましくない形で浮かび上がってくるというのがすごいし、もっと検証すればどんどん出てくるんだろう。

 

クレイマー、クレイマー

 

これは父と子の絆を描く心温まるヒューマンドラマでも、緊張感溢れる法廷映画でもない。
これはふたりの大人がそれぞれ自分の問題と愛する子供のために何が出来るかに向き合い、「カタをつける」映画。
テッドもジョアンナも、それぞれ思う所あるもののお互いが憎いのじゃない。傷つけたいわけでもない。どちらかが悪いわけでもない。じゃあどうする?っていう映画。

ジョアンナに突然出て行かれて、テッドは慣れぬ家事育児で精一杯。仕事との両立で苦悩しつつ、自分がそれまでいかにジョアンナに対して不誠実な夫であったかに向き合っていく。ジョアンナも同じ。遠き地カリフォルニアで本当の自分を取り戻し、自分にとって一番大切なのは何か? を考えていた。

テッドもジョアンナも、結局いちばんに考えているのは息子のこと。だからこそテッドは自分が勝訴する道を捨ててでも息子を法廷に立たせることを拒んだし、ラストのジョアンナもそう。夫婦としてはもう元に戻ることは出来なくなってしまったけれど、「父」であり「母」なのは揺るがない。

親権をめぐってふたりが法廷に立つ場面はもっとも辛いシーンだ。本人達が「これが本当に自分たちがやりたかった事なのか?」と自問する傍らで、ふたりの弁護士ばかりがヒートアップしひたすらに互いを「親の資格なし」と責め立てる。苦痛の表情から、それぞれの葛藤が痛いほど伝わってくる。

すごいのは四十年前の作品であるにも関わらずそれこそ現代の日本に通ずる社会的問題をしっかり扱っている点。仕事と育児の両立の難しさ。女性が仕事を辞めて家庭に入ることを良しとされる風潮。そのことで女性の心がいかに引き裂かれるか。「子供と父親の絆と愛の奮闘記」なんてヌルい映画では全く無い。「ウーマンリブ」を笑っていたテッドがのちに「自分は妻をかたにはめようとしていた」と語るところなんか鑑みても、この映画は真っ向から社会問題を観客に投げかけていることがわかる。女性が「妻」「母親」の役割だけ求められ、「一つの人格を持った個人」として扱われない、現代にも色濃く残る問題に、この作品は切り込んでいる。

「子供のためにヨリを戻そう!(キラキラ)」みたいにならないのもヌルくなくて最高だ。二人は夫婦としてはもう破綻している。お互い歩み寄れたけど、元の関係には戻れない。心が離れてしまったことを無理に修復する必要も、まして後ろめたく思う必要も全く無い。人が人を思いやり愛する描写が全編にわたり満ちていて、とても美しいのだけれど、綺麗事は一切描かない。

名作の誉れ高いゆえんに納得するしかない、素晴らしい映画だった。

 

 

グランド・ホテル

 

グランド・ホテル [DVD]

グランド・ホテル [DVD]

 

「死と運命変転と再生」の物語。

一人の男が宿泊客たちの運命を変えていく。落ち目のバレリーナは愛を得、傲慢な実業家は転落し、年老いた男と美しい速記屋は共に旅に出る。そしてフロントマンのもとには、子供が無事産まれたとの報が届く。

一人の男の死によって生まれた人間関係や愛といった他キャラクターと男爵との濃い縁を描き、そして彼ら全員がホテルを去った後、新しい命が生まれるのが構造として美しい。「宿泊客の人生を動かした男が死んだ事で変化は永遠となり、ラスト、赤児が生まれた報が入る」という、映画を一本のシークエンスとして捉えた時の完成度が完璧。

……要するにホテルにとってはこの映画で描かれた一連の波乱の一幕も、ただの日常でしかないことが、互いに全く無関係の「死」と「誕生」が端的かつ非常に美しい形で示されているわけで。めっちゃ巧すぎじゃないですかこれ???

とにかく最後に赤児が生まれるのが最高。ホテルはこれからも様々な死と誕生と生活を見つめながら何もなかったように続いていく。「グランドホテルは世界中どこにでもあるさ」っていうラストの台詞がまたそれを駄目押しのように押し出している。劇的なわけじゃない、特別な出来事のわけではない。ホテルはそれまでもこれからも様々なドラマを目撃する。世界中で。そういう終始マクロな視点で物語が語られるのが良い。まさに「グランドホテル 人が来ては去りゆく 何事もなかったように」なのだ。

グランドホテル形式の映画を多く観ているわけではないので偉そうな事は言えないが、登場人物達が絡み合う土地は、他でもないそれ自体こそがその物語の真の主人公であり、登場人物達はその上で運命に踊らされる幸福な傀儡に過ぎないし、群集劇とは一定の空間が持つ逃れられぬ定めの物語なんだよな。

様々な人間関係を繋げ縁をつくり愛を与えたキーパーソンの男が、彼こそが、死ぬ、っていうのがほんとにひたすらに神(語彙喪失)。彼はそこにはもう永遠に関われない。だけど彼が居なかったら何も生まれなかった。彼は「グランド・ホテル」という“土地”が登場人物たちに差し向けた使者なのだ。死んではじめて役目を達成したのも、それだからこそなのである。

素晴らしい映画だった。時代を経て残るものにはやっぱり力が宿っているし、単純に演出や構造も図抜けている。サイコーであった。

 

遊星からの物体X

 

遊星からの物体X [Blu-ray]

遊星からの物体X [Blu-ray]

 

めちゃめちゃ面白かった!!!最高!!!!

私はふだんミステリを中心に本を読むのだけれど、ミステリにはクローズド・サークルというジャンルがあり、これは日本では吹雪の山荘などと呼称されるのだが、要するに外部との接触が一切断たれた状態で、閉ざされた空間のなかで一人また一人と惨劇が起きる、でも誰も逃げられない、そして誰も信じられない……というシチュエーションを描いたもので、それで言えば、この「遊星からの物体X」は、まさしくSF &ホラー版クローズド・サークルだった。

登場人物たちが次第に疑心暗鬼に取り憑かれていく様とか、ヒステリー起こす奴が出てきたり、犯人探しならぬ「エイリアン探し」を皆で始めたり、登場人物が不用意に一人で行動しはじめたりと、もう私が今まで散々読んできたクローズド・サークルミステリそのまま。外部と通信がつかなかったり、何者かの手によってヘリコプターが壊されて脱出不可能になったりするところも既視感バリバリ(ちなみにミステリだと車のタイヤがパンクさせられたりしている)。クローズド・サークルものは場面が変化せず地味なのでほとんど映像化されないのだが(本格嫌いの層の厚さもあるだろう)、SF、それもエイリアンものとくりゃあ絵になりますよね。ひたすら楽しかった。

音楽とかカメラワークの演出もやり過ぎず少な過ぎず、観客の恐怖感やハラハラドキドキをこりゃまた煽る煽る。血液採取してエイリアンかどうか順番に調べるとこなんかも、思わず息を詰めて見入ってしまった。二転三転するプロットといい単純明快かつ必然性のある設定といいとにかく観客の心を掴みつつ転がせまくる手腕が絶妙であった。エイリアンのグロテスクな見た目に拒絶反応を覚える観客もいるだろうけれど、こうまで面白きゃそれでもスクリーンから目が離せないんじゃないかな。

怖さやハラハラドキドキだけじゃなく、疑心暗鬼に取り憑かれる人間心理の描き方も巧い。登場人物がみんな違った反応、違った考え方で動いていて、キャラクターを単なる駒ではなくちゃんと生きた人間として創り上げてシュミレートした上で対立や協力関係を設定したのだろうな、と感じた。ただキャラクターにギャーギャー逃げ惑わせるだけのホラーは多いが、この作品は使える設定全て使って一つでも多い側面から観客を楽しませようという気概が伝わってくる。ラストのやりきった絶望感も最高。

そしてこの作品が1982年の作と知り、驚愕。エイリアンからのびて絡みつく触手はじめ、あの時代にどうやって撮ったのだろう。ここまで釘付けになって映画を観たのは久々だ。名作は決して古びないのだなと改めて思う。

 

怒り

 

怒り DVD 通常版

怒り DVD 通常版

 

原作既読のため、「誰が山神なのか」というのが分かっていたにも関わらず、この決して短くない映画を最後まで楽しめたのは、多分ひとえに役者(とその能力を最大限に引き出す監督)の力だと思う。とにかくどの役者も鬼気迫っていた。特に、広瀬すずの男友達役の方が演技初挑戦と知ったときは本気で驚いた。あの森山未來を向こうに回して、全く稚拙な部分がない。他の役者も、実際に同居生活したり、無人島生活したり、体重を増やしたり絞ったり、顔に自ら傷を作ったり……。勿論そういう目に見える分かりやすい役作りだけでなく、撮影も、脚本も、演出も、音楽も、「これでいいだろ」と妥協して作った部分が一切無く思える。これは凄い。

だからだろうか、「大切な人が殺人犯なのではないか」と苦悩する登場人物達に、違うよ、あんたの好きな人はそんな人じゃないよ、と画面の中入っていって言ってやりたいと本気で思った。

原作者・吉田修一が語った通り、これは「最後まで犯人を決めずに書かれた」物語であり、また伏線なども特に張られているわけではないため、この作品においてミステリ的な要素はあくまでオマケかと。

さて、タイトルにも冠されている、この映画のテーマとも言える「怒り」とは何なのだろう。
たしかにこの作品にはたくさんの「怒り」が満ちている。大切な人を信じられなかった己への怒り。自分に乱暴を働いた米兵への怒り。友達を守れなかった自分への怒り。夏の暑さへの、電話で小馬鹿にされたことへの、己を憐れんだ女に恵まれた一杯の麦茶への、そういう一言では言えないけど、誰もがきっと知っている「何か」への怒り。
血文字で書かれた、大きな「怒」の字。それを書いた山神は、先程私が並べたたくさんの「怒り」たち、いやそれだけではない、この世にあまねく存在する、全ての怒りを全部背負った、概念としての、観念としての「怒り」を体現する為に遣わされた使者なのではないか、と思う。彼が東京や千葉の容疑者のように愛する相手を最後まで持つことが出来なかったのも、どこまでも使者でしかない彼にはそういった存在は不要であるからだし、一年前突然被害者夫婦のもとに現れ二人を殺し、最後には自分自身が殺されたのも、その役目をついに果たしたからだろう。彼はこの世の怒り全てを引き受け、生まれ、死んだのだ。

あと、パンフ読んでて気になった事をひとつ。広瀬すずは、暴行シーンを撮影したあとしばらく、他人に接触されることが気持ち悪くてたまらなかったという。役に入り込み感情を追体験するというのは役者としては避けられないことだが、制作姿勢として、もう少し彼女の精神的負担を軽くする配慮はできなかったのだろうか。例えば韓国映画「トガニ」では、子役に保護者を付き添わせ、撮影のうえでも、恐怖心を与えない演技指導をしたという。もちろん広瀬すずは子役ではないし、そこまでやれとは言わないが、事実、暴行シーンも生々しく露悪的であったので、その部分に関しては、彼女への配慮は出来なかったのかな、と。どれだけ苦しかろうと役に対して正面から向き合うというのは役者としては己に課す命題だと分かっているし、広瀬すず自身もプロとしての自覚ゆえにあのシーンに臨んだはずなので余計なお世話と言われたらそこまでなんだが。

 

 

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「映画」をモチーフにした物語を「映画」という表現媒体で語るのは、作品に含みを持たせていてすごく良かった。作中の登場人物が楽しんでいるのも、今自分が画面に釘付けになっているのも、同じ「映画」なのだという一種のメタ構造が生まれることにより、作中人物の感動がよりダイレクトに伝わってくると同時に、脈々と続いてきた「映画」の歴史を回顧させる作りになっている。
そして、音楽のいちいちが、映像のいちいちがなんと美しいこと!エレナの家の近くで何日も何日も立ち続けるトトの恋が叶い、映写室で抱き合いキスをするシーンには、普段恋愛モノにあまり興味を持てない私も心から酔いしれた。

私は年齢的にはアルフレドよりもトトにずっと近いので、アルフレドの「ここを出て行け、帰ってくるな」の真意がいまいちピンと来ず(「シチリアの小さな街で一生を終えてほしくない、大好きな弟子であるトトには広い世界を見てほしい」という愛の鞭であるのかな、と忖度する事はできるけれど)。でもこれは推測するとか考えるとかいうのではなく、きっと歳をとるにつれて自然と分かってくるものなのだろう。
「これは全部お前にやる、だが私が保管する」と言われてそのままになっていたキスシーンの集積のフィルムを数十年越しに形見として受け取り、誰もいない映画館で一人で見るシーンは映画史に残る名シークエンスではあるまいか。あそこでトトに涙を流させず、うっとりと満足気にスクリーンを観させるのが最高。そう、彼には泣く必要なんてない。なぜなら、あれは彼とアルフレドが生涯をかけて愛した大好きな「映画」なのだから!

さて、以下は物語の流れには関係ないが、この映画を観てふと思った事をつらつらと。

ここ数年の日本の映画界での新しい流れといえば、なにより「発声可能上映」「応援上映」といった観客参加型の上映形態が確立された事だろう。まるでコンサートのように観客はスクリーンに声援を送り、喚起された感情を全身で表す。こういった試みは既に一定の層に支持されており、実際、人気の作品の応援上映は、時にチケット争奪戦となることもあるそうだ。今後、こうした流れはさらに広がっていくことだろう。
だが、翻って言えば、この国では、「普通」の形態の上映において、観客はかなりの「不自由」を強いられていると言うことができる。音の出る飲食は敬遠され、笑い声も控えめに、ヒソヒソ話も眉をひそめられる。しかし、それは随分と窮屈な風潮ではないだろうか。この、少年と映写技師の交流を描いた名画を観ながら、私はそんなことを考えていた。

TVも普及していない、娯楽の少ない時代と町を舞台にしたこの作品では、人々の唯一の娯楽として、「映画」という題材が採られる。人々は毎日のように映画館に詰めかけ、スクリーンに映し出される光景に夢中になる。彼らにはせせこましい「鑑賞マナー」などない。楽しかったり、美しいシーンでは歓声を上げるし、キスシーンがカットされたらブーイングもする。もしそこが日本の映画館であったら、彼らは「マナー違反」と烙印を押されてしまうかもしれない。だが、素晴らしい作品を受容する、感受性に訴えかけられる、その感動を声として身振りとして表現する、それってすごく当たり前の事なのではないか?映画って、娯楽や芸術としての映画鑑賞って、本来、そういうものなんじゃないのか?

私はいまいちノリの悪い人間なので、応援上映などは敬遠していたのだが、今度、一度機会を見つけて足を運んでみようと思う。大好きな「映画」を観ることができる幸せを、声で体で受け止めてみたい。