生まれ直す時代と女---「私の20世紀」

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映画『私の20世紀』4Kレストア版 公式サイト

 

イルディコー・エニェディ監督による三十年前の幻の処女作・「私の20世紀」を観た。以下感想を。

 

あらすじ

エジソンが発明した電球のお披露目に沸き立つ1880年ハンガリーブダペストで双子の姉妹が誕生した。リリ、ドーラと名付けられた双子は孤児となり幼くして生き別れる。1900年の大晦日、気弱な革命家となったリリと華麗な詐欺師となったドーラは偶然オリエント急行に乗り合わせた。ブダペストで降りた双子は謎の男性 Zと出会う。Zは彼女たちを同一人物と思い込み二人に恋をするのだが…。(Filmarksより引用)

 

 

思っていたより観念的で芸術性によった作品だった。

 

まず、映像がひときわ美しい。やはり白黒映画であるというのが抜群に利いている。モノクロ映画とは、光をここまで美しく映すのだなと、白熱電球のシーンで驚愕。鏡部屋をあそこまで綺麗に撮れるのも、モノクロだからこそだと思う。もしもこれがカラー映画だったら、情報量(主に色)が格段に多くなって逆に恐怖心を喚起してしまっていたと思う。なるべくして白黒になったという印象がある。そして主演のドロタ・ゼグダの美しいことといったら! 絢爛豪華に着飾るドーラの煌びやかさと、情熱と怯えを内に秘めた質素なリリの愛らしさ、どちらも一級品だ。

 

ただ美しいだけではなく、構造の面においてもこの映画は優れている。カメラはまずエジソンによる白熱電球の発明に沸き立つ人々を映し、つぎに寒空の下マッチを売り、マッチの光を見つめるリリとドーラの姿を捉える。もうこの流れだけで、彼女らが「新しい時代(=マッチを擦ることなく灯をともすことができる)から取り残された存在」であることが、黒のなかから浮かび上がる美しい「光」の描写で提示されていて初っ端から非常に巧い。

あとこの映画、「時代」というものの生まれ変わりをとても自然な形で繰り返し提示しているのが印象的だ。電報や白熱電球は言わずもがな、年越しの様子を描いたシーンが、物語を語る手つきとして非常に華麗。年越しというのは旧年が死に、新年が生まれる行事であると指摘することができるが、この映画でもまさにその通りで、「19世紀」の絶命と「20世紀」の誕生を鮮やかに描いている。そしてその日にリリとドーラの人生は、Zという男を媒介に再び重なり合う。

 

このように構造がとても見事な本作であるが、寓意的な観点で読み解いても面白い。一卵性双生児である二人は、一度男の手で引き裂かれそして最後男の手により再度「ひとつ」となった「単一存在」であると言うことが可能なのだ。時代だけでなく、「二人」に引き裂かれることで死んだ「二人で一つ」である彼女たちもまた、再び「一人」として生まれ直すのである。ドーラは「女」を武器にし世を渡り、リリは「女」であるが故の枷から解放する為活動しているのも対比的で興味ぶかい。

 

しかし映画全体を俯瞰で概観したときに、やはりとっ散らかり気味という印象は否めない。チンパンジーパブロフの犬は、エピソード単体では面白いが、本筋との関わりがいまいち弱い。終盤に至るにつれ不可思議かつ浮世離れしていくこの映画は鏡部屋のあたりで完全にストーリーラインを放棄し、「考えるな、感じろ!」とばかりに双子の突然の邂逅を観客に叩きつける。あれはあれで好きなのだが、何処まで狙ってやってて何処から処女作ゆえの稚拙さなのかがいまいち見えない(「心と体と」を観ればこの監督の作風や巧拙が判るのだろうが、今のところ機会がない)。

 

そうそう、よくわからなかったのだが、「どちらを選ぶかな」と囁き交わす少女の声は、やはり子供時代のリリとドーラのものなのだろうか?