父と母と息子の物語と、ミクロな視点からの平和主義─「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」

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huluで「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」を観た。以下感想を。

 

主人公の少年・オスカーは、アスペルガー症候群の疑いがあり、コミュニケーションが苦手だ。そんな息子のために父が作ったのが、「調査探検」という遊び。「ニューヨークには、かつて第六区があった」という父親のなぞかけを、オスカーは父が死んでもなお追いかける。亡くなった父親は、誰がどう頑張ろうと決して戻ってこない。生前父が語った、どんなに人々が必死に繋ぎとめようとも無念にも流れていった幻の第六区のように。それでも父親との絆を追いかけるように、オスカーはニューヨークじゅうを歩き回り、さまざまな交流をする。

 

その描写を通して、父親の死や、父が留守電や新聞の切り抜きに残したメッセージ、そして残された家族はそれぞれ何を思っていたのかを、定期的に挟み込まれる回想シーンとともに薄皮を剥くように観客に提示し、彼らの深い心の傷を少しずつ露わにする。辛い構成だが、心底真摯でもある。

 

さて、この物語にはどんでん返しが用意されている。鍵や調査探検の全てを秘密にし、ぶつかってばかりいた母親が、実はオスカーが訪ねる家々に先回りし、探検の協力を頼んでいたのだ。この事実が明らかにされた瞬間、この映画は「父と息子の物語」から「母と息子の物語」へと鮮やかな変貌を遂げる。父との絆は大切だが、その影をいつまでも追っていては過去にしがみつくことになる。父の思い出は大切にしつつ、これから共に過ごしてゆく母親との結び付きを深めてこそ、前を向くということだ。父が用意した探検を、母親が影でサポートしつつ、ニューヨークじゅうの「ブラック」が協力する。数え切れない程の人々の助けによって、9.11で父親を失った少年が成長し、立ち直ってゆく。このきわめて優しい世界を描くことで、テロリズムに屈しないという強いメッセージを、深い愛をもって発している。

 

さて、この「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」というタイトルは、いったい何を意味しているのだろう。いろいろ考えたが、9.11で犠牲になった人、そしてその遺族、すべての人と、「第三者」である私たちの、「そうあるべき距離」を表しているのではないかと思う。本当に痛ましい事件だ。多くの人が哀しみに暮れている、当時も、きっと今も。大切な人を喪失した傷は滅多な事では癒えない。彼らの悲痛な声を聞くのは、その辛さ故「うるさく」感じるかもしれない。だが目を逸すのは間違いだ。「近い」出来事として、寄り添い、また当事者意識を持たなくてはいけない。私は原作未読なので何を言っても片手落ちというか、誤読している部分も多々あるのだろうが、「ものすごくうるさくて」も、「ありえないほど近い」関わりを持ってくれ、忘れないでくれ、ともに立ち上がってくれ。そういうメッセージが、このタイトルの表すことなのではないだろうか。

 

たいへん胸を打ち、また、タイトルの難解さも含めて、まことに精緻に創り上げられた作品だった。私事だが、あらためて当時の状況やテロリズムについて勉強する機会にもなった。観てよかったです。

 

 

テーマやストーリーに非常に似通ったもののある「アマンダと僕」も是非。