サラ・ウォーターズ『エアーズ家の没落』と、「風呂敷を畳む」ということ

 

エアーズ家の没落上 (創元推理文庫)

エアーズ家の没落上 (創元推理文庫)

 

 

 

エアーズ家の没落下 (創元推理文庫)

エアーズ家の没落下 (創元推理文庫)

 

 

 

 サラ・ウォーターズ「エアーズ家の没落」、たった今読み終わりました。ほぼ一気読み。
 
 感想を一言で言うならば、めちゃめちゃ面白かった。こういう、結末がはっきりしないと言いますか……ミステリーならば「リドルストーリー」とでも称されるべき作風は、読後の居心地悪さゆえか、割に好き嫌いの分かれるところのようですが、私は大好きです。いやーほんとに面白かった。
 
 恩田陸作品全般、セバスチャン・ジャプリゾ「シンデレラの罠」、ヘンリー・ジェイムズ「ねじの回転」などもこの系譜に加えてよいかと思いますが、こういったよくできた「リドルストーリーもの」を読むたびに、あれこれ腐心して「綺麗に」風呂敷を畳むことのいかに馬鹿らしいか、つくづく実感させられます。作家の伊坂幸太郎が、自身のインタビューで「風呂敷は畳む過程が一番つまらない」というようなことを語っていたけれど、読書体験を微弱ながらも重ねるたびに、その言葉が真理として胸に迫ってくる心地がします(個人的には、伊坂さんほど上手く風呂敷を畳む人を私は寡聞にして知らないのですが、逆に卓越した手腕を持つがゆえに天井を見てしまったのかも)。
 
 とはいえ、ちりばめられた謎や不可解な伏線がラストで意味を与えられ、一枚の絵になるカタルシスと興奮も嫌いではないです。ですが一方で、手に届かないところにあった筈の謎が足元に落ちてきてしまった拍子抜け感、ありていに言えば「冷めてしまう」感覚に襲われることの方が実感としてははるかに多い。それこそ伊坂さんのようによっぽど「巧い」人がやるのでないと、それまで多くの謎で好奇心と期待をかきたてられた読者の目には、どうしても陳腐に映ります。

 そういう意味で、発表から七十年経った今もその印象的な書き出しと共に人々に深く記憶され、評価されているウイリアムアイリッシュ「幻の女」を私は全く評価しません。「派手な帽子を被った女を何故誰ひとりとして覚えていないのか?」という美しくけれんの利いた謎が、「犯人が口止めしてました!」なるそりゃないでしょな真相に堕してしまった時の落胆と失望と言ったら……。ミステリとしての体裁を整える、物語としての分かりやすい「落ち」をつける、ただそれだけのために、ちんけな「真相」とやらを無理やりこじつけるぐらいなら、いっそ美しい謎のままでいてくれ!(「斜め屋敷」レベルの力技になれば、いっそ様式美として楽しめるのですが……うーん難しい。)

 人間には、「謎を解き明かしたい」という願望があるのと同時に、「謎には一段上でこちらを見下ろしほくそ笑んでいて欲しい」という欲求も、確かにあるのだと思います。全てを掌握できる世界なんてつまらない。それは物語を読むうえでも変わりません。「謎に手のひらの上で翻弄されたい」、この小説はそんな欲求をおしみなく満足させてくれる作品です。分厚さに最初はやや圧倒されますが、リーダビリティ抜群でぐいぐい読めます。お暇があれば是非。

 

(2011年ごろに別名義で書いたもの。最近更新ができずこれではいかんと思ったので、とりあえず昔書いたものの中からデータが残っているものを引っ張り出してきて載せました。)